fnorisuke’s blog

普通の大学生に挑戦する勇気を与えます!

中学の経験②

あのライバル出現

小学校の頃の一個下のあの後輩がなんと飛び級で中学生と混じって参加してきたのです。そいつは僕が抜けてスタメンになりぐんぐん成長し圧倒的うまかったです。僕は縦の突破力が長所なのですが彼は中に入りゲームメイクやチャンスメイクしながら裏のスペースを狙うタイプで賢く多様なスタイルを待っていました。非常に危機感を持ったので僕もこのからパスの勉強やゲームメイクをしようと考えるようになりました。これが僕の長所は消し中途半端な奴になりついに中二の段階でそいつのポジションを取られました。そこからセンターバックやトップなどを経験し試行錯誤したのですが全然うまくいかずチームでも存在感がなくなり、はじめてサッカーが嫌いになりました。10月までこのような感じが過ぎ自主練もしなくなりYouTubeやネットをいじる普通の中学生になり腐りかけていました。  

 

意識改革

二年の時の最後の大会で何とかベンチ入りをして先輩たちのラストゲームに挑みました僕は早く終わってほしいと思っていましたが、試合に出てる人たちはサッカーというより戦場で戦っているような肉弾戦で何人も攣り、血を流し、中には犯則ギリギリのプレーをしながら最後大会に賭けている先輩たちがいました。なぜならユースに上がれるのは5人程度の狭き門でみんな生き残るように必死にアピールするのです。僕はそこで初めて鳥肌が立ちました。結局試合に出れなかったですが、この時から絶対このチームに貢献できるように誓いました。

 

僕のみつけた道

そこで自分なりに考えて自分の生き残る道は、奴隷として献身することでした。このチームは才能溢れるプレーはたくさんあるけど最後の最後で泥臭くプレーすることができる人がいなく生き残るみちはそこしかないと思いました。中学生でこのような自己犠牲に徹するのは今までの栄光に道を歩んできたぼくはかなり抵抗がありましたが。チームに貢献するにはこれしかないとないと必死に泥臭く最後まで追いかけました。後輩からの鬼パスも文句言わず最後まで追いかけました。

 

次回は今の自分を形成してる大事な出来事です。  では、ばぁーい

中学生の経験①

中学生になって

中学校は普通の地元の公立に進みました。ほぼ小学校のメンツだったので全然変わらない景色でした。僕は部活には属せず、jリーグの下部組織で活動してました。僕らの地元は強制部活であり、そこでの友好関係が基本となります。でも僕は野球部やバスケ部と仲良くもちろん同じチームであったサッカー部とも仲良く中学校生活はとても楽しかったです。

 

臨時陸上部

地元は陸上部がないのに陸上大会がある謎環境であり、僕は100mに出場し確か県大会に出場できましたが、サッカーの予定と被り棄権した記憶があります。駅伝大会の練習は割とガチで練習は血尿が出るほど走りました。これはほぼサッカーのためにやっていたので、休日の大会は出れませんでした。五時半に起き六時半から八時まで走り、夕方からサッカーで八時から十時まで自主練し風呂入り体幹して十一時に寝る生活でした。一応ケータイやネット環境はあったのですがこの時期は風呂の中と寝る前しかいじりませんでした。

 

最後の栄光

中一になり学校の練習もあり足の速さは一年ながらトップクラスで身長もそこそこあったので試合に出れるようになり同期の中でも上位のカーストにいました。まじでプロになれるとこの時は思っていました。中学のレベルは圧倒的にフィジカルが強くなったことぐらいしか感じませんでしたが、体幹や身長があったのでそこまで差はなかったです。あとこのときはほんとに何でもうまくいっていたので、相手が世代別代表でも年上でも関係なしに仕掛けてがつがついってました。

 

次回はこの栄光のおわりです。   では、ばぁーい

僕の小学校の経験③

試合での活躍

以前にかいたようにだんだん練習の存在感が出てきて、小5ながら試合にでれるようにようになりました。右サイドハーフでの出場が多く僕のメインポジションなのでやりやすく、僕の足を一番生かせるところなので先輩からの鬼パスに追いつける自信は誰よりもありました。丁度チーム戦術が縦に早いサイド攻撃だったのでスタメンに張れるようになりました。僕の同期では3人しかいなかったです。僕のチームでは試合に入れば先輩後輩関係ありません。そこでぼくはどんどん自分からドリブルやパスを要求するようになり。守備も手を抜かず、ふとこのチームに貢献してるかもとなんとも言えない、充実感に浸りました。ちなみにこの時は全国大会で結構いい位置までいきました。僕もゴールしたりして活躍しました。

 

ライバル出現

小6になり後輩ができます。そこで僕と全く同じタイプの選手がいて、練習はまじめだし、主張するところはするし、何より考えてプレーする印象でした。スタメンであった僕は焦りを覚えました、そこで体幹やステップの練習を追加して、自分の長所に磨きをかけました。この当時は何でもうまくいっていたので、さらに試合に活躍できるようになり、準エース的なポジションにつきました。ちなみにエースは三次選考の時にゴールを決めた彼です。そして最後の大会を迎えます。このチームでは夏から秋にかけて来年度ジュニアユースに上がれるか判断されます。そのため生き残りをかけて夏からピリピリします。今思えば、この年でこの競争は酷だと思います。僕は主力の自信はあったし前しか向いてなかったし、そんなことは全然考えてなかったです。最後の全小ではたしかベスト8だったような気がします。もちろん来年度も残留もいただき一安心です。この時期は自分でもびっくりするくらいうまくいってたし、親や友達も驚いていました。

 

次回はついにこの栄光が終わりの始まりです。   では、ばぁーい!

僕の小学校の経験②

    初めての挫折 

このチームに加入して初めの練習は四対一のパスゲームで鳥かごやロンドと言われてるものです。よく遊びでやる練習ですがこのチームではガチでやります。パススピードがほんとに早くて何より基本が早く丁寧ですぐ鬼になりパスを回されてました。次に一対一で、ドリブルは自信があったのですが、なかなか勝てなく、次にセンタリングの練習でセンタリングはサイドハーフなので自信あったのですが、今までは適当に仲間がいるところを狙ってあげてたのですが、ここでは大きくニア、ファー、中、マイナスと分けられていて各々の判断に任されています。そこをミスると文句言われます。びっくりしたのが、先輩たちは逆足でもセンタリングを上げられ、当然僕も挙げられる感じで左サイドからのセンタリングを見事ダブり、練習から外されました。これが僕が初めて味わった挫折です。

 

   挫折からの復活

このチームの練習は意外に短いもので、2時間半程度でそこからウェイトしたりフリーキックしたりみんな自主練をします。僕は家が近かったのもあり無我夢中で自主練をし、家に帰ってからも自習練をしひどい時には、一時までやり近所に怒られました(笑)六時半から家を出て地元の中学校のサッカー部の朝練にも参加しました。アントラーズの同期の中で一番練習したと思います。このおかげで左足を使えるようになり。パスもうまくなり試合に絡める時間が多くなりました。また身長も小6で168㎝あり足もさらに速くなり一対一は得意で、小6ではスタメンを獲得するまでになりました。このころはまだサッカーが好きだったので、めっちゃ練習したけど全然苦ではなかったしむしろ楽しかったです。

 

次回は僕の数少ない栄光の時期です。かなり調子乗ります。では、ばぁーい

  

僕の小学生の頃の経験①

   サッカー

サッカーの出会い

ドイツから帰国してきて周りに友達もいなく最初の一週間はとてもクラスにいずらかったです。僕のいた茨城県ではアントラーズの影響でサッカーがとても人気で半分以上の男子生徒がクラブに属していました。そこで僕は地元のクラブに入りました。そこでは週末の練習だけでしたが友達もできだんだん学校も楽しくなってきました。そこで週末でけでは物足りずアントラーズのスクールに加入し週四でサッカーをしてました。僕は昔から素直な性格があるのかぐんぐん成長して、足も速く身長も高くコーチから小4の時にjリーグの下部組織のセレクションに挑戦しました。今思えばこれが僕の初めての挑戦だったと思います。倍率は100倍近くの狭き門です。実際は素人や下手な人もいるので20倍くらいだと思います。三次試験まであり一次は終わった後に受かると思いました。二次はさすがに同レベルやそれ以上のつわものばっかでほんとに落ちたと思い、悔いのないように全力で走りました。なんと結果は受かっていました。三次では今までのゲーム形式だけではなく体力測定やメディカル検査もあります。ゲームでは周りは一度は聞いたことのある有名選手でびくびくしながら試合にはいったのを今でも覚えています。ボールのスピードは今まで経験したことのないもので、パス交換には参加できないと判断し右サイドハーフの僕は裏を狙うことだけを考えていました。そしたらのちにチームメイトになるボランチの選手からキラーパス?クリア?がコーナーフラッグに蹴られ足の速い僕は絶対このチャンスものにすると全速で追いつき、ダイレクトでクロスを上げました、そこでのちのチームメイトになる選手が決めて今まで試合絡めてなかったのにアシストを決めました。サッカーとは不思議で一度のプレーでメンタルが急に強くなり、だんだんパスを要求するようになりドリブルで仕掛けたり自分でもびっくりするようなスルーパスを出したり守備でもとから身長があったのでほぼ負けなかったです。試合が終わり、夢のこのチームワンチャンある!!!!!しかも体力検査は自信あるしいざ50m走を測ると覚えていませんがたぶん3番以内だと思います。だいぶ自信はあったもののさすがに緊張します。そして僕の家に合格通知が来て、まあ当然よねと調子にのってました。この後痛い目に合うのに。。。。。11月くらいに来年度のジュニアメンバーがクラブハウスで顔を合わせましたあのパスを出してくれた人やゴールした人がいてすぐ仲良くなりました。そして地元のクラブを退団する時はなんだかさみしいような、裏切るような、気持ちでいっぱいでした。この時が初めての別れでした。後でまた述べますが何かをしようと思ったら何かを捨てなきゃなりません。この時少なからず僕は感じていました。そしていよいよこのチームのファミリーとしてナイキの赤シャツを集まり「献身、誠実、尊重」の名のもとにやプロ意識などを教わりました。そこで華々しいサッカー人生のスタートだと思ってました。後から聞いた話だと僕が受かった理由はただ走れる身長が高い人が欲しかったらしく、僕のポテンシャルで受かったわけではないようです。笑笑

 

次回は人生で初めての挫折の体験談を話したいと思います。  では、ばぁーい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログのターゲット、目的

このブログの存在意義

このブログのターゲットは毎日を淡々と過ごしている学生や目標や環境を変えることへ躊躇している人へ向けています。というのも僕自身大学に入ってようやく自分を見つめる時間や暇を持て余すことができるようになったので、最初の二か月くらいは最高だったのですがだんだんこのままでいいのか?このまま社会に出ていいのか?このまま四年間無駄にしていいんのか?何かにがんばってころのほうが楽しかった。で何すればいいのか?と自問自答する日々が続いていました。そこで僕は色々と環境を変えてみたり、挑戦してみたりしたので僕の経験で誰かに響けばいいと思いこのブログを始めました。

 

 

このブログの目的は上と重なる部分が多いと思うのですか、僕のようになんの目標を持たずにただ淡々と毎日を過ごし、将来に不安を抱えながら、迷ってる人はたくさんいるとおもいます。そこで僕の経験談を語りながら、少しでも一歩踏み出せる人がいればいいと思い。始めました。

 

あと個人的にネットが好きなんで何か情報発信したいなと漠然と思っていたり、このブログを始めること自体も挑戦だし、なんかワクワクするし。ほんとはyoutuberになりたかったけど炎上怖いし、カメラや照明高いし、編集だるいし、あと何より身バレや顔バレが怖かったです。最後は友人から「お前の人生聞くとめっちゃ勇気沸く。ほかの人にも伝えろよお前YouTube好きだろ‼」って言われ続けたのでこの挑戦をしました。

 

次回は僕の小学校の頃の詳しいお話をしようと思います。   ではばぁーーい

大学生のブログ始めました

こんにちは。現在大学二年生のfnorisukeです。

簡単に僕の自己紹介をしたいと思います。

最初に僕はドイツのドュッセルドルフで生まれ4歳まで過ごし、茨城県に5歳から15歳まで小中学生を過ごし、千葉県に16歳から18歳まで高校生を過ごし、現在は神奈川県で一人暮らしで大学に通っています。

 

僕の学歴は小中は茨城県の地元の公立の学校で高校は親の転勤の影響で千葉県に引っ越し偏差値70いかないくらいの公立の自称進学校に進み大学は慶應義塾大学商学部に通っています。大学内では内部生をはじめ私立中高一貫校のひとがほとんどのため、全て公立の僕はかなり珍しいです。よくみんなからは最高の親孝行や金のかからない子供と言われます(笑)ただ中学入試がめんどくさかっだけですけどね。小中は平均点ぐらいの子供でテスト二週間前から先生に言われた課題を素直にやってるだけの子供でした。高校は進学校だったのでかなり勉強した記憶はあります。もちろん僕より勉強してた人はたくさんいました。高校の成績は偏差値65くらい定期考査はクラス一桁くらいの人です。大学では、中の下くらいの成績です。

 

僕の趣味はスポーツ観戦と動画視聴と筋トレです。また詳しく話ますがサッカーガチ勢だったのと親が熱狂的な巨人ファンだったので今では観るだけですが好きです。動画視聴についてはyoutubeAmazonとhuluを合わして一日平均8時間見てます。ガチです。筋トレは大学入試の息抜きに軽くやってて今もやってる感じです。

 

とりあえず軽く僕の自己紹介はおわりです。次回はこのブログの目的について書きたいと思います。    では、ばぁーい